独眼流亮孔明の独日おもしろ異文化論 第11回

ドイツにいた頃、夏の楽しみのひとつが、仕事終わりに近くの湖へ泳ぎに行くことでした。デュッセルドルフは、緯度でいうとミュンヘンよりもさらに北です。「札幌・ミュンヘン・ミルウォーキー」とよく言われるように、ミュンヘンは札幌と同じくらいの緯度とされていますから、デュッセルドルフはそれよりもっと北にあることになります。それでも夏は日照時間が長く、会社が5時や6時に終わっても、外はまだ何時間も明るいままでした。
近所には、川をせき止めたような小さな湖があちこちにあって、岸辺の草地で着替えて、そのまま泳ぎに入ります。足元は少し泥っぽいのですが、数メートルも進めばもう野生のカモや白鳥がすぐそばにいます。白鳥は人に危害を加えないとみんな分かっているので、触れそうなくらいの距離まで気にせず泳ぎます。羽が浮いているような水でも、汚いとか病気がどうとか、あまり気にする様子はありません。
翻って日本を見ると、天然の湖や川に入って気軽に泳ぐという感覚は、あまり一般的ではないように思います。泳ぐ場所といえば海水浴場やプールなど、管理された場所が中心で、野生の水鳥がすぐそばを泳いでいるような環境で泳ぐ光景は、あまり見かけません。水質や安全面への配慮もあるでしょうが、それ以前に「自然の中にそのまま踏み込んで泳ぐ」という発想自体が、そこまで身近ではないのかもしれません。
もともと狩猟民族として、動物と近い距離で暮らしてきた歴史があるからか、自然の中の多少の「汚れ」や、動物がすぐそばにいることを、身構えて警戒する感覚があまりないように感じます。長い夏の日照時間が、仕事終わりにふらっと湖へ向かう習慣を後押ししているのは確かですが、根っこにあるのは、自然と自分たちのあいだに、はっきり線を引かない感覚なのかもしれません。
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