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第10回|カラスやサルに怯える人間、という視点の違い――「隣人」になるか「脅威」になるかは、距離感で決まる

独眼流亮孔明の独日おもしろ異文化論 第10回

カラスやサルに怯える人間、という視点の違い――「隣人」になるか「脅威」になるかは、距離感で決まるのイラスト

デュッセルドルフに住んでいたとき、朝、マンションの芝生に十数羽のウサギが座っていたり、近くの堀割で野生のカモが泳いでいたりするのは、ごく普通の光景でした。冬にベランダからパンくずを投げれば、越冬中の海鳥が何十羽も寄ってきます。誰も驚きませんし、警戒もしません。動物が近くにいることは、暮らしの一部として当たり前に受け入れられていました。

面白いのは、同じ「野生動物との近さ」でも、恐怖の対象になるかならないかが、国によってまるで違うという点です。ドイツで身近な鹿やイノシシも、もちろん頭数はきちんと管理されていますが、日常のなかでは「怖い」対象というより「共に暮らす隣人」として扱われています。

翻って今の日本を見ると、クマの出没は昨年度、約5万件と統計開始以来最多を更新し、人身被害も過去最悪だったと報じられています。サルの農作物荒らしも各地で深刻ですし、カラスが集団で住み着いて被害を出す例も珍しくありません。人間の側にこれといった対抗手段がなく、駆除の現場は自治体の要請を受けた猟友会が担いますが、法律上はあくまで任意の協力で、責任の重さを理由に要請を断る例も報じられるようになりました。動物を駆除する判断そのものが動物保護団体との摩擦を招くこともあり、サルには空砲で追い払う程度の対応しかできていないのが実情です。

見た目だけを比べると「ドイツは鹿とイノシシ、日本はクマとサルとカラス」という、対象になる動物の違いに見えます。けれど本質はそこではなく、動物とどれだけ日常的に距離を詰めて付き合ってきたか、そして「この面積なら何頭まで自然の恵みで共存できるか」という物差しを持っているかどうか、だと思うのです。距離を詰めてきたからこそドイツでは動物が「隣人」になり、物差しがないからこそ日本では動物が急に「脅威」として現れる。動物を大切にしたいという気持ちは、日本にも十分にあります。足りていないのは、その気持ちを日常の距離感と制度に落とし込む工夫の方なのかもしれません。

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